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The Financial Time での村上龍へのインタビューを訳しました。

2014-02-05 追記: 末尾に VICE のインタビューのリンクを載せました

読めないことはないと思うのでよければどうぞ。

Japan is a safe, polite society in which occasionally hyper-violent crimes are committed that shock the world. They do not surprise one of its best-known authors, whose bleak novels brim with brutality.

Ryu Murakai Interview by David Pilling September 27, 2013 2:07 pm

日本は安全な上流社会だが時折ひどく凄惨な犯罪が起こり世界に衝撃を与える。それらは最も有名な作家を驚かせない、彼の小説は残忍さに満ちている。

2008年6月のある日曜日の午後、自動車工場で期間従業員であった加藤智大(当時25歳)は、レンタルした 2tトラックで秋葉原の群衆へ突っ込んだ。最初に衝突した3人は即死、加藤はトラックから飛び出し無差別に偶然居合わせた人々を突き刺し、さらに4人以上が死亡し、数人がケガを負った。その後、彼は殺すのは誰でも良かったと警察に伝えた。

加藤はインターネットの掲示板で詳細な計画を散文的に書いて警告していた、タイトルは"私は秋葉原で人を殺すつもりです。"この複数の投稿のおよそ1ヶ月前、職場で彼の制服が隠されたことの議論し、怒りを感じた、そして同時期に彼女がいなくなった。彼の裕福な両親は彼の平凡な高校に厳しく深い失望を持った、彼は“私にはひとりの友達もおらず、未来に希望はない……。ゴミ以下だ、なぜならゴミはリサイクルできる”と言っていた。彼は殺人を始める20分前に簡潔にこう書いた“時間だ。”

怒り、暴力、水面下に隠されている激しい怒り。これは日本の最も成功した小説家のうちのひとり、村上龍のテリトリーだ。村上の主人公たちは若く暴力的か社会の規範から外れても平然としている。ピアッシング(1944)のアンチヒーローはこのようなものだ、主人公は彼の娘をベビーベッドの側でアイスピックを持って監視し、彼女をもし殺したら何が起こるだろうと思い、精神的に抑えている。他の反逆者はこうだ。彼女はクロコダイルを東京のアパートで飼っている。もう一方は毒性の虫を使う。だが、彼らは幼少期に虐待や社会性を剥奪されたという背景を持っている。村上のヒーローは(普通の下にあるシンパシーのために)めったに非現実的な薄さにしない。(?)彼の小説は安っぽい暴力とマンガのあからさまな性描写をむさぼり読む日本のティーン・エイジャーと大人の血と精液のファンタジーに等しい。

村上の小説の外では、日本は地球で最も安全な国のひとつだ。アメリカは日本よりも10回の殺人と36回の強盗が発生する。夜に近所の住人が歩きながらしてる会話がたまに聞こえる。まったくの安全と思って良い。

日本社会は市民同様に表面上はわずかなことでも動揺する。見せかけの下、けれども、僅かな意見と行動ジェーン・オースティンのドローイングルームを切り裂くような。(?)日々の暮らしのおおよそ全ては厳格な規則で統治されている。ガラクタは無視される。人々は交通機関でケータイを使用するのを慎む。飛行機の中で、日本人はリクライニングをするときに断りを入れる。

あるとき人々はキレる。関係が希薄なところで。多くの小さな負荷が、日々沸騰するのを抑制しているのかもしれない。駅のプラットフォームで突然ケンカが始まることがあるかもしれない。怒りによってビジネスミーティングが思いがけず終わるかもしれない。日本の報道での極端な突然の怒りと暴力による事件は、多くのありふれたの悲痛な議題だ。秋葉原通り魔事件のが起きるまえの七年で、日本の嫌な出来事として言及された事件は、大阪付近の小学校でかつての小学校の用務員が8人の子どもたちを突き刺し殺害し、数人に重症を負わせた。1997年での悪名高い事件は、14歳の少年が兄弟の11歳の友達を絞め殺し首を切り落として小学校の校門にディスプレイした。

多くの村上の登場人物も突発的な傾向がある。現在61歳で、作家、長崎近くの佐世保で生まれた、20代半ばに限りなく透明に近いブルーで日本のインテリの意識をこじ開けた。その小説は若い麻薬中毒者とだらしない経験がベースで、芥川賞を1976年に受賞し、数百万部を売り上げた。

その後の小説(最新は40以上)は若者の疎外感、反乱、無気力感、そして過激な暴力を繰り返しテーマにしている。コインロッカー・ベイビーズ(1980)、おそらく彼の最も練られた小説で現在映画化されようとしている、ふたりの少年の母親達が彼らを死なせようとして暑苦しいコインロッカーに放置する、彼らは成長して復習を計画する。希望の国エクソダス(2000)、中学生の集団が将来を信じられなくなり、インターネットを覆うようにそれに代わる社会を編成する。英訳された村上の最新作は、半島を出よというタイトルで今年出版された、ドロップアウトした集団が北朝鮮の侵略から日本を守る。日本の擁護するひとたちは村上の小説を避けられない、全体の混乱と暴力的な幼少期を。

村上の幼少期は当然順調ではなかった。教師の息子で、彼の校長の最もひどい悪夢だっただろう。高校生のとき彼は反ベトナム戦争運動の影響で学校の屋上にバリケードをつくった、そのとき日本中の大学は麻痺していた。彼はヒッピー文化に共感して、ロックバンドと8mmビデオのインディーズ映画を作り始めた。彼は空想上の反逆者たちのひな形を言葉以外で始めた。それは彼の名前にふさわしいかもしれない、龍之介が省略されると、中国語で龍を意味する文字で書かれる。

日本でもっとも尊敬されるジャーナリストである船橋洋一は、村上(彼はウィークリーの番組の司会をしている、カンブリア宮殿、それ以外にはない、経済とビジネスについてだ)は日本の最も重要な文学者のひとりだと言った。国際的に有名な村上春樹に似た名前だ、龍の小説は主体性のあるひとを擁護し、日本の奥底の暗闇に差しこむ光でもある。

龍は一度だけペーター・キャットの春樹を訪れたことがある、春樹が1970年台半ばに東京で営業していたジャズバーだ。二人はおおよそ同じ時期に物書きを始め、個人主義尊重し、西洋社会よりも集団を重視する日本の考えを疑ってきた。龍はそのとき妻に出会った、キーボードプレイヤー、35歳の後半で、彼はまだ結婚していた。(?)彼の息子は1980年に生まれた。おもに、いずれにしても、彼のプライベートはイギリスの物書きの詳細のあらましの範囲くらいだ。(?)

ここ最近、船橋は世代間の暗黙の衝突、1990年のバブル崩壊からの20年間の経済の落ち込み、若者の獲得機会の縮小に対する村上の正確な指摘を信頼している。"彼は日本の構造変化にとても洞察力がある、特に失われた10年を過ごし、影響をうけた若い人々について"、船橋は私が村上に会う予定の前にそう伝えた。"彼の小説のひとつにはこんなことが書かれている"この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。"これは日本の若者の厭世と不安を非常にとらえている。"

翌日はうだるような暑さだった。エアコンの温度設定が節電の設定になっていたために湿度が増していた。2011年の福島の3度のメルトダウンのあと全ての原子力発電所が停止した、日本人は彼らに生産能力と国内収支を遠回しに寄付している。村上のホテルの部屋はとてもイケていると気がついた。彼の家は首都圏郊外の神奈川県にある、毎週3、4日缶詰しながら執筆するホテルは新宿にある、東京の西の汚れた街はイン・ザ・ミソスープの舞台だった、ストーリーは数ブロック向こうの巨大な売春地区の中での殺人騒ぎだ。

部屋は散らかっている、想像通り。執筆だけではない、村上はTV番組のための準備も行う。半分空になったグレンリベットのボトルと、同じくらい減ったコニャックがテーブルの上にあった。窓の敷居の上にはペアの水着が掛けてあった。クローゼットはちらかっていた。執筆用の机の上には、MacBookがゴミの海の中に、タバコの箱、デビット・リンチブルー・ベルベットの DVD、ミネラルウォーターのペットボトル、たくさんの本。村上は英語で出迎えてくれた、インタビューは日本語だったが。彼は存在感のある小ぶりな男だ。ずんぐりして、顔が大きい、(日本で一般的な良い特徴ではない)彼はちょっとした年をとったロックスターのようなところがある、良い外見、しわがあり、目の下にクマとボサボサの黒髪に白髪がある。

相変わらず日本は比較的平和なのになぜ彼の本には大量の暴力描写があるのか、私はたずね始めた。沸き立つように怒るというのは、日本人の奇妙な消極性を超えていると思われる。"そうだと思う。日本で暴力は特殊だ、たとえば中東などの他の場所と比べたら。ここではヨーロッパで見られるようなデモ活動は多くない。"と彼は言った。"多くの日本人が不満や挫折を味わった。しかし彼らは感じたことを表現するのは良しとしない、彼ら自身で塞ぎこむ傾向がある。そして彼らは抑圧された怒りによって、とても不安定だ。"

芸術家、村上は言う、それは大きなキャンバスに描くのに不可欠だ。"私の小説では、生命の代わりにとても内省的で、私はセックスや暴力やクスリを追い払うような力強い何かを必要としている、それは自分本位の知性だ。"彼の怒りにとって、小説はとにかく、ふさわしい種類の表現だ。"怒りは重要だ、"と彼は言う。“それは私の小説のきわめて重要な要素だ。だからといって、もし怒りにまかせて火炎瓶をストリートに投げたとしても何も変わらないだろう。若者にとって何に対して怒ればよいのか自覚するのはとてもむずかしい。”

彼の書物は抑圧つされた感情のカタルシスの機会を提供する。"私の小説では若者は怒りの明確な目的がある。たとえば、半島を出よでは、北朝鮮の兵士(日本への侵略を先導する)の怒りには明確な目的がある。しかし現実には、はっきりとした目的は存在しない。"

彼の小説には、時に、能力を高める幻想が見られる。現実に、日本のいくつかの暴力的でサディスティックな芸術作品が多くの意見の役目をしている。

村上はつぎのように言った、なにか、彼が読者の怒りを作りだそうとしているかのように、"私は世界を良くしようとはしていない、政治家は嫌いだ、その職業はフェアな社会と多くの繁栄の上で仕事ができる、小説家の義務はひとりの読者を狙うことだ、ひとはひとりで読む"それは読者の反応を引き出す試みだろうか?"有名な言葉がある、馬を湖へ連れて行く事はできる、しかし馬に水を飲むことは強制できない。"彼は珍しい表現の英語の格言を言った。"同様に、私は若い人々がもっと怒るべきだと信じています、むしろ全ての日本人がもっと怒るべきだと。しかし馬のように、人々に怒るように強制するのはとても困難なことです、私はただ、私が小説を描くことで人々にそれは可能なことなのだと示しているのです。"

何について怒るべきか、村上は3つの論点を続けた、ひとつは若者にチャンスがないこと、経済の調整がほとんど落ち込んで以来、若者には徐々にパートタイムや低賃金の仕事を負わされてれてきた。リストラが行われたものの、仕事をもつ大部分は免れた。デフレは彼らの年金と賃金を保ち、高齢者に有利な傾向がある。ジャーナリストの船橋はこう言った、"私達は若者の困難な状態を理解するのが遅すぎた、年老いた政治と給付金は若者の犠牲にある。デフレの政府の下に過ぎ去った20年、若者が最も苦しんできている。高齢者は楽園を過ごした。"

村上はすべての団塊の世代が良い暮らしをしているわけではないと断りつつ、若い世代は彼らの権利のためにより独断的に立ち上がる必要があると、彼の言う"世代間の対立"の必要性に賛同した。彼らは企業年金がもらえないことにも苦悶する、と彼は言った。一方では、"日本の若者は内向的になる必要がある。彼らは彼らの生活をどうすればよいのかわからない。"彼の本のひとつに13歳からのハローワークという職業斡旋のパロディがある。村上は無味乾燥に医者から売春婦、自動車整備士や兵士まで500以上の職業の良い所と悪いところを書いた。

怒りの2つ目の理由は村上が失敗とみなす、政治とエリート官僚による経済政策だ。違う子ども向けパロディのあの金で何が変えたか?(1999)では、彼は銀行の不良債権処理に使われ失敗した600億円の122の代替用途を示した。彼の計算によれば、同じ額の金額で原子力空母タイタニックの25回分の制作費と世界中のホームレスチルドレンへ毛布を与える事ができるという。"私は大衆にわかりやすい形式で情報を示したかった、これによって彼らはお金のベストな使い道を知ることが出来る"とジャーナリストに伝えた。

首相の安倍晋三によるデフレ脱却策、アベノミクスについて話してくれた。“大規模な金融緩和策によって自国の経済を単純に回すことに成功したことは、どの国の中央銀行でもないと思う。そして彼らのしていることはまだそれだけだ。“と彼は言った。"私はどんな急激なハイパーインフレーションが起きるのかわからない。しかし多くの経済学者が起きうるシナリオでは、物価が上がり、サラリーはそのままか下がるとしている。それはアベノミクスの失敗となるだろう。"

彼のいくつかの小説には起こりうる日本の経済についての破滅的な予測とそれに伴う階級づけられた社会構造が描かれている。暴落する円、大量のホームレス、食糧不足、小さな(また小さいと言えない)犯罪。現実には、と彼は言う"私の大げさでない想像では突然というよりも緩やかに衰退し最終的な死へと向かっている。"死が意味しているのはなにかたずねた。"国がゆっくりと貧しくなっていること"と彼は応えた。

彼の怒りの3つ目の理由は多くの経験に基づいたものだ。"日本は多くを失い、どこへ向かえばよいのかわかっていないと思われる"と彼は言った。"明治時代(1868)、日本は経済を豊かにし、国を強くするために働いていたが、それは失敗した。私達は戦争を通じて国を強くすることができなかったので、それを放棄した。しかし私達は国を豊かにするために働き続け、それは経済の成功の理由となった。"と戦後の奇跡について彼は言った。"日本は豊かになった、しかし当分の間、どのような日本を作りたいのかを本当に議論したことはなかった"日本にとって幸福と急速な経済成長は等しいもの、と彼は付けくわえた。いま成長は地をはうようにゆっくりとしていて、人々は困惑している。ニューヨーク・タイムズの特別記事で、彼は国内の感情を"すべての子供が大人になる過程で通過する憂鬱"となぞらえた。

経験に基づいた不安は戦後の和解にまで及び、それはアメリカの病棟のように日本を置き去りにした。(?)国家の間だけでも、日本は戦争をする権利を奪い取られ、憲法は外国人に書き換えられ、国防はアメリカに委託された。その憲法は左派と右派の双方を動揺させた。右翼は(安倍も含まれる)日本が国家の尊厳を奪われて、信用されていない青少年のような待遇になったことに憤慨した。アメリカの戦後日本の進駐軍のトップをしていたダグラス・マッカーサーは、周知のごとく日本国家を12歳の子供になぞらえた。しかし保守主義はアメリカと"戦勝国の正義"の押し付けを非難し、そしてまたアメリカの包囲に依存していて代替が効かないように見える。

左翼(村上も含まれるかもしれない、彼の政治的な意見は簡単に仕分けられない)アメリカの存在に対してさらに憤慨している。“日本が衰退していったのは少なくとも小型犬がしっぽを振るようにアメリカの奴隷に属したから”彼の性格は祖国を反映している。にも関わらず、右よりも、左はアメリカンカルチャーに魅了された。シックスティーナイン(1987)のなかで、日本の若者が表現反逆反対押し殺される象徴アイコン西洋のポップカルチャーを内包しているジミ・ヘンドリックスとベルベット・アンダーグラウンドといった西洋のポップカルチャーの象徴を通じて息苦しい抑圧に怒り反逆する若者を表現している。"あなたがアメリカのような国が嫌いだとしても、モハメド・アリは好きなままでしょう"という風に村上は私に説明した。

自己主張の強い中国の発展と直面して、日本はそれに対する怒りとアメリカのパワーへの恐れのなかに危機を見出している。"近頃、アメリカの影響の範囲は中国とは異なって全てではない"と村上は言った。“それは明確で、[アメリカの]パワーが衰退しつつあり、私達はもはや本当に頼ることができない。”半島を出よでは、弱体化したアメリカは待機し、日本本土の最も南にある九州は北朝鮮の兵士たちに侵略された。北朝鮮について、"中国"を読みとり、そして日本の成長の脆弱性のとても正密な全体像を描いている。"日本の特徴の一つは他国から侵略されたことが一度もないことだ。そのため日本人は国土と国民の保護が得意でない。"と村上は言った。半島を出よでは北朝鮮人たちは楽々と侵入した。彼らは日本人は長年の豊かさによって柔らかくされたティッシュペーパーのようだと感じ、外側の防衛にもそれを見た。

日本の国民たちは暴力のような反乱に無力だ。単独で、彼らは経済を立て直すことも日本をより安全にすることもできない。"彼らのすべてがより建設的な物事に彼らの怒りを向ける努力ができる、彼ら自身のために"と彼は言った。

彼を好む読者で、両親と対立したあと彼に手紙を出した女子高生がいた。彼女は逃げ出したあと、彼の小説から慰めを得ていた。"私の小説を読んで、彼女は自分に似たひとが他にもいることを理解した"と彼は言った。"それはとても幸せなことでした。"

私は彼女についての他のインタビューを読んだことがある、彼女の家族は彼女の甘菓子販売店を立ち上げるという目標に対して口論していた。その一方で村上の小説の反逆者は傍観者を攻撃したり北朝鮮人を撃っている、私は彼を冷やかしているが、日本の現実世界の反逆者たちは両親の望みに反抗して甘菓子店を立ち上げている。なぜ彼らのことについて書かないのか?

"私はそのような小説を書いていた、"彼は説得力のないことを言った。"おそらくそれらはまだ英訳されていないのでしょう。"

関連

似たような内容のインタビューだったので Vice のインタビューを追記します
日本文学界の暗黒王子 | 村上 龍 インタビュー | VICE Japan